鈴木 繁

職人気質もいろいろ

 

テレビや雑誌で紹介されている職人のイメージには、頑固だが、実直な性格で一つのことだけを極める性格であり、

私も同様に思っていました。

多くのことに、興味をもち、いつも斜から物事を見る性格の私には、美的でもあり近寄りがたい存在でした。

 6年前、以前、笠間稲荷門前通りで縁起物として売られていた、クルミや菓子が入った竹籠を復元する為、当時、茨城県では唯一の竹細工職人と言われていた鈴木繁さんを訪ねました。

 

職人は頑固で、おいそれと仕事に応じてくれないと思い込んでいた私は、おそるおそる籠の制作をお願いしました。

しかし、私の予想に反して「簡単だから、すぐ作るよ。 竹仕事なんて大げさな物じゃないから。」と、作業の手を止め、、依頼した籠を作ってくれたのです。

 

鈴木さんとの出会いにより、遠い存在であった竹細工に興味を持ち、時々簡単な仕事を手伝う中で、

 公募展に出品し受賞したが、自分の性格に合わないことがわかり出品をしなくなったことや、

建築や石積みをしたことなど、こだわりのない楽しい話を聞かせて頂くことで、今までの私の「竹細工」や「職人」にもっていたイメージは大きく変わりました。

 

岩間の竹細工は、明治期、岩間の製糸業の道具として盛んになり、富岡製糸場から招待されるほどの技術がありましたが、

昭和30年代のプラスチックの台頭につれ、*「青物職人」の仕事は少なくなりました。*青物;竹細工の原点で、自然に生える竹をそのままに細工した籠などの道具。

 現在、私たちが目にする竹細工は工芸として残ったもので、道具として頑丈であるよりも繊細な美を追求するもので、

青物竹細工とは、技術や目指すところが違う存在だと知ることにもなりました。

  岩間の職人の中で、繊細な神経を持つ人は工芸作家に転向し竹細工を続けますが、東京に近い土地柄か、注文 < ガラス工場内移動用の瓶籠や、国鉄の駅で使った車両掃除の鉄道籠 >も辛うじてあり、ほかの竹細工の産地と違って、岩間の青物職人の仕事は残りました。しかし、仕事も徐々に減り、後継者や職人も少なくなる中、鈴木さんは淡々と竹細工を続けながら、最後の岩間の青物職人として、更に後継者育成の為の講師として、今も活躍されています。

 

今回の、「鈴木繁、竹の仕事展」は、工芸的な作品から、青物職人として歌舞伎の雪籠や相撲塩籠まで、こだわりなく幅広く作った 鈴木繁さんの作品の展示となります。

 

ご高覧いただくことで、鈴木繁さんの自由な竹に向かう精神を、伝えられることを願っています。

 

                              作り手評論:藤本均定成